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| 東京都 府中市 宮西町 日吉神社 ケヤキ |
| 「県外ですが魅力的なので」 |
※このホームページをご覧いただく皆様へのお願い
木に詳しい方で、ここで紹介されている木の種類が間違っているものがあったら遠慮なく指摘して下さい。
自信がないものがいくつかあります。お願いします。
また千葉県在住の皆様、身近に魅力的な木がありましたら教えて下さい。
横から見て横幅が1メートルありそうだったら、巨木です。巨木でなくても魅力的な木もあります。
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巨樹は多くの芸術作品の一つでしかない。人間がいなければ巨樹という概念すら存在しないのだから間違ってはいない。ジャンルとして木がありオブジェの一つとして存在する。そこには自然との共存や保護などどうでもイイこと。何故なら自然保護、つまり自然を保護するなど人間にとって思い上がりでしかないから守るなんておこがましく私には言えない。ただ、その存在のために、そうあって欲しくないという欲求はある。でもそれは人間の我がままでしかない。そして保護しているのは我々ではなく木が人間を見守っている。何百年から何千年かけて作られ今も少しずつ変わりつづける地球が作り出す芸術作品。人の助けなどいらないはず。人がいつか死ぬように枯れる木もある。もちろん枯れない木も沢山ある。木は治療などせず枯れていくほうが美しい。松葉杖などいらない。枯れていく姿も美しい。人間がすべて滅びても、何かの生物が一つでも生き残ればいいと思う。
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| 八日市場市 安久山 平山家 スダジイ |
自然を見直すなんて無関係だし、その歴史、伝統、民族、信仰も掘り下げない。人は自然を愛しているから山や海へ人は行くのではありません。そういう気分を味わいたいだけです。
自然だけを撮り続ける多くの写真家の人たち、でも木はそこに具体的な何かが分かる風景は純粋の美を感じにくいと思っています。抽象的な形により多くの美が存在する。具体的なものは煩わしく感じます。では巨樹はどうかと言うと、そこには自然の中の存在として美は感じない。今も生きているという生命力だけの存在。だから、その比較対象として人間はいなければならない。木の美しさだけを追求するなら盆栽と違いがない。カメラを覗く人間が画面の外にいることは偽りのものでしかない。美を排除した巨樹には、それを見る人間が必要なのです。今同じ時間を生きていることに感謝です。
ただ、残念ながら撮影の条件などから木だけのものが多くありますが、今後少しずつ差し替えたいと思います。
ということで、人間のかってに感謝している芸術を見てください。
巨樹の紹介には選択するという悩みがある。幹周り5メートルが巨樹で?3メートル以上が巨木?と呼ばれても2メートルでも魅力のある木もあるし、5メートル以上でもつまらない木もある。5メートルといってもイチョウとクスとスギとカヤでは、その姿が違って見えてくる。僕の好きなスダジイなどは、2メートルでも魅力的なものが多い。
出版されている巨樹に関する本をほぼ全部持ってるけど、それらの本を見ると当然なにかしらの基準で選択されている。季節とアングルを考えれば一つの木にしても写真は選択される。そうすると少しでも選択することを減らすには地域を限定するしかない。もちろん、一番素晴らしい選択は1本の木を撮りつづけること。全国を巡って写真を撮ってる人の行動力は素晴らしく僕には到底、時間も経済的にも不可能なことです。でも、それらはやはりすべてに中途半端なものを感じるのです。もちろん巨木も自然の中のひとつの選択です。
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